句読点による速度感

句読点の多い少ないは、読みやすさだけでなく、速度感ともかかわりがあります。

彼は車をおり、あたりを見まわして、目的の人物をさがした。

彼は車をおりた。あたりを見まわす。目的の人物をさがすのだ。

前者と比べて、後者は矢継ぎ早に語っている印象があります。
こういった技術は単純に句読点の問題だけでは語れませんが、一文を短く短くするほど速度感はでます。
速度感のある文章は、硬質な雰囲気、アクションなど素早い動きに比較的向いているかもしれません。

そうして空を眺め雲を眺め、風に吹かれてみて、ああ人生などとぼんやり思った。

そうして、空を眺め、雲を眺め、風に吹かれてみて、ああ、人生、などとぼんやり思った。

読点多く、息継ぎ(間)を多くすると、速度感が落ち、ゆったりのんびりした印象になります。
このようにすると、前後の文脈次第ではありますが、雰囲気というか情感のようなものがだせる場合があります。
ただし、これは上級技術です。
あまりこればかりをやっていると、文章にしまりがなく崩れてくるかもしれず、のろのろとして退屈な感じになるかもしれません。

「しれません」が続きましたが、文章表現はあたかも川のように全体の流れとつながっています。
つまり、生きているのです。
ですから、たった一文のみを取りだして、決まり決まったことをいうことはできません。
たとえ同じ技術を使っても、書き手によって結果は変わってくるでしょう。
速度感を上げたもの、下げたもの、混和させたもの、いろいろと試してみてください。
そしてその効果や、内容との適不適、自分自身の文体の模索をしてみてください。